観光地を巡るだけじゃなくて、何か自分の手で作る旅がしたい」そんなマリエさんの言葉に背中を押され、私たちは鹿港の小さな刺繍工房を訪ねることにしました。歴史あるこの港町の路地裏で、どんな出会いが待っているのか、胸が高鳴りました。
観光のにぎわいを離れ、木の看板に導かれるようにそっと扉を開けると、そこには静けさと温もりに満ちた、まるで隠れ家のような空間が広がっていました。少し緊張した面持ちのマリエさんが「ここ…入りにくいかも。でも、素敵な出会いがありそう」とつぶやいたその瞬間から、私たちの刺繍の旅がゆっくりと始まっていきました。
無音の中で響く、針のリズムと暮らしの美
工房に足を踏み入れると、外の世界とは別の時間が流れているようでした。耳を澄ますと、布に針が通る「すっ…すっ…」という音だけが静かに響きます。色とりどりの絹糸が並ぶ棚を眺めながら、私は思わず「この糸でどんな模様が生まれるんだろう」とワクワクしてきました。
壁には、鹿港の町や花鳥が刺繍された作品が飾られ、柔らかな光に包まれていました。

「こんにちは、日本からですか?」
奥から日本語が聞こえたと思ったら、優しい笑顔の林さんが迎えてくれました。日本語で話しかけてくれる安心感に、緊張していた心がふっと和らぎます。「今日は刺繍、体験してみますか?」と声をかけられ、マリエさんと顔を見合わせて「ぜひお願いします」と即答。丸枠に張られた白い布と、宝石のような糸が並ぶ道具箱を前に、子どもの頃の家庭科の授業を思い出して少し緊張しつつも、期待が膨らみました。

今日は刺繍、体験されますか? 簡単な模様からでも大丈夫ですよ」
私とマリエさんは顔を見合わせて、声をそろえて「お願いします」とうなずきました。林さんが出してくれた丸枠に張られた真っ白な布、そして柔らかな絹糸と、木製の道具箱がセットになって準備してくれました。どこか懐かしく、家庭科の授業の記憶がよみがえってくるようでした。
刺繍体験の流れ(所要時間:約1時間)
突然行ったにも関わらず1時間でこんなに体験できたことに、とても驚き感動しました。
模様選び(福・蓮花・吉祥雲など)
模様選びの時間は、まるで宝探しのようでした。「福」「蓮花」「吉祥雲」…どれも意味が込められていて迷ってしまいます。私は柔らかな雲の形が気に入り「吉祥雲」を、マリエさんは「蓮花」を選択。「今の自分にぴったりな気がする」と微笑む彼女の横顔が印象的でした。

「私は蓮花にする、浄化の象徴でしょ?今の私にぴったりな気がする」

「私は吉祥雲にする、このふわっと広がる雲の形が、心の余白のように感じる。」
好きな色の絹糸を選ぶ
壁際の棚には、宝石のように輝く絹糸が並んでいます。

「私は紫と金にする、この色は気品があって大好き」

「私は青緑の糸にする、このなめらかな質感にうっとりする、一目惚れね」
林さんから日本語でのレクチャー
林さんは、糸の通し方から針の運びまで、とても丁寧に日本語で教えてくれました。

「針の動きは、力を入れすぎず、布に添わせるように……」
マリエさんは「家庭科の授業以来かも」と苦笑いしていました。でも、林さんのやさしい口調に、私たちの手元にも自然と集中が生まれていったのです。
実践スタート
布を刺繍枠に張ると、ピンと張った感触が心地よく少し上手くなった気がしました。

「この感触、クセになりそう」

「この静けさって、ちょっと瞑想に似てる」
夢中になれる、贅沢な時間
布に刺した最初の一針が少し曲がってしまい、マリエさんから思わず言葉が飛び出しました。

「うわ、私の“福”の字、ちょっとへんてこかも」

「でも、その歪みも味だよ。旅の思い出になるし」

「下手でも、手で刺したものには“その人の時間”が映るんですよ」
やがて会話も減り、私たちはただ静かに、針と向き合っていました。工房の中は風の音も届かないほどの静けさ。針を動かす指先と、心がゆっくりと重なっていくのを感じました。
完成・持ち帰り
開始から1時間ほどで、私たちの刺繍が完成しました。不器用な縫い目で少し歪んでいるけれど、どこか温かい愛着の湧く作品になりました。林さんはそれをやさしく布袋に包みながら、「旅の記憶が、ちゃんとこの中に縫い込まれてますよ」と言ってくれました。

「これ、私、帰ってからも絶対飾る。市販のお土産よりずっと思い出になる」
会話の中で紡がれていく、家族と人生の記憶
休憩の合間に、林さんが高山茶を淹れてくれ、私たちも一緒にお茶を飲みながら会話が弾みました。その中で林さんが話してくれました。「刺繍はね、気持ちを整える時間なんですよ」──その言葉が、じんわりと心に染みました。
湯気の向こうで笑う林さんの表情は、まるで昔からの知り合いのような安心感がありました。
観光客としてではなく、人と人として向き合えたことが、何よりうれしかったです。

「この工房は、母と娘と私の三世代でやってるんです。鹿港では昔、刺繍は嫁入り道具で、母娘で一緒に縫っていたそうです」

「私も昔、母と並んで編み物をしたなあ。今思えば、あの時間ってすごく特別だったのかもしれない」

「この子、小さい頃から糸ばかりいじっててね」
その林さん親子の温かな歴史と時間が、一針一針に刻まれているような、そういう長い時間を垣間見た気がしました。私たちが今感じている穏やかさも、きっとこの場所が何年もかけて育ててきたものなんだと思うと、胸が熱くなりました。
旅先の偶然の出会いが、こんなにも深く心に残ることがあるなんて──そう思わずにはいられませんでした。
Lulucoが感じた刺繍体験のポイント
好きな模様と糸を選び、日本語が話せる林さんの穏やかな声に導かれながら、針を進めていく時間。。。それは通常の観光地では得られない“心が静まる旅”が、ここにはありました。
体験は約1時間ほどです。完成した刺繍はその場で持ち帰ることができ、希望すれば布袋にも入れてくれます。突然の訪問でも快く受け入れてくれた林さんの笑顔に、私は少し胸が熱くなりました。料金は500〜700元と手頃で、予約はネットや観光案内所から可能なようです。空きがあれば当日参加もOKです。
「旅は、ただ見るだけじゃない。自分の手で感じるものこそ、心に深く残る」──この刺繍の一針一針が、私の中にそう教えてくれた気がします。
旅のまとめ|記憶の質感を持ち帰るひととき
外に出ると、夕方の光が路地に差し込み、どこか懐かしい匂いがしました。刺繍工房の静けさが、まだ指先に残っています。「観光って、たまに“消費してる”感じになることもあるけど……今日は違ったね」マリエさんの言葉に、私も深くうなずきました。
刺繍工房で過ごした静かな時間は、観光地を巡る旅とはまったく違う体験でした。針を動かすたびに、私の心も少しずつほぐれていくのを感じます。林さん親子の温かな会話や、マリエさんとのやりとりを通じて、手仕事が生み出す「記憶の質感」を持ち帰ることができました。
帰国したら、母と一緒にもう一度針を持ってみたい──そんな新しい気持ちが生まれた旅でした。今回行った台湾・彰化県の港町、鹿港(ルーガン)のことをまとめてみました。行く時に参考にしてみてくださいね。
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