「お母さん、次の家族旅行は台湾の九份と十分なんだよね?」朝の食卓で花菜がそう言った瞬間、私は少し特別な旅になる予感がしました。
息子のりゅうは「留学中に九份へ行ったけど、観光地としてしか見てなかったな」とつぶやきます。
今回は、家族三人で台湾の文化と歴史を肌で感じる旅にしようと心に決めました。
列車に揺られて、台北から山間の町へ
台北駅から瑞芳行きの列車に乗り込むと、街のビル群が次第に緑の山々へと変わっていきます。
この路線はかつて金を運ぶ鉱山鉄道ーートンネルを抜けるたび、霧の向こうに深い森と渓谷が広がりました。

「まるで映画みたい。空気が澄んでるね!」

「都会とは全然違うな。留学中、こんな景色をちゃんと見てなかったかも。」
その言葉に私は静かに頷き、家族の会話が旅のリズムをつくりはじめました。
九份の石段で、時を巻き戻す町歩き
山肌に寄り添うように連なる赤い提灯ーー九份の石段を一歩ずつ登るたびに、石の隙間に咲く花や古い家並みが、かつての鉱山町の記憶を語りかけてきます。

「この町は金鉱で栄えたの。19世紀末、日本統治時代には“黄金の町”と呼ばれていたのよ。」

「知らなかった。歴史を知ると、景色の見え方が変わるね。」
骨董店の老店主が教えてくれた言葉が印象的でした。「この町の歴史は、石段の数だけある。」
九份の町並みは、時の流れを抱きしめながら今も静かに息づいています。
茶館での休息──香りと静けさに包まれて
石段を登りきった先にある茶館に入ると、古い梁と木の窓枠が柔らかな光を透かしていました。
漂う茶葉の香りに誘われ、私たちは金萱茶を注文しました。

「ミルキーな香りが特徴なんだって。」

「お茶って苦いイメージだったけど、これは甘い香りがするね。」
店主が語る産地の話や淹れ方に耳を傾けながら、ただお茶を飲むだけでなく、**台湾の“静かな文化”**を感じ取る時間となりました。
九份茶館の楽しみ方──香りと時間を味わうコツ
私自身も、台湾でお茶を飲む時間がこれほど豊かだとは思っていませんでした。
店主によると、金萱茶は標高1,000mの山で育ち、低温の霧に包まれることで独特のミルク香が生まれるのだそうです。

「日本のお茶と全然違うね。香りが深い。」
店主は「香りを感じたいときは、一口飲んだあとに鼻から静かに息を抜くといいですよ」と笑顔で教えてくれます。
お茶の香りが喉を通り抜け、心まで温かくなるーー九份の茶館では、急がずゆっくりと“時間そのものを味わう”ことがいちばんの贅沢です。
カップの中に映る提灯の灯りがゆらめき、静かなひとときが旅の思い出をやさしく包み込みました。
雨の九份、しっとりと幻想的な夜を歩く
夕暮れとともに、霧雨が町を包み込みました。濡れた石畳に赤い灯が映り、提灯の光が滲んで幻想的です。

「雨の音が心地いいね」
屋台の芋団子を3人で分け合いながら歩いていると、地元の人が「鉱夫たちが疲れを癒すために食べたんだよ」と教えてくれました。
屋台の明かりのひとつひとつに、人々の暮らしと祈りが今も宿っているようでした。
坂道の途中で出会った温かい味
坂の途中で立ち止まり、屋台で買った熱々の芋団子を3人で分け合いながら歩きました。もちもちとした生地に黒糖の甘さが広がり、雨上がりの冷たい空気の中で、心までほっと温まります。
近くにいた地元の方が「昔、この屋台は鉱夫さんたちのために始まったんだよ」と教えてくれました。その一言に、私はハッとしました。九份の味は観光用ではなく、誰かの暮らしを支える日常から生まれたものだったのです。
屋台に息づく、九份の暮らしと物語
時を経た今も、その精神は受け継がれています。石段沿いに軒を連ねる屋台は、金鉱の町だった頃の名残をそっと伝え、訪れる人の心と体を温め続けています。
湯気の向こうに灯る明かりのひとつひとつが、この町で生きた人々の物語を語り継ぐように揺れていました。
十分の朝、天燈に願いを託して
翌朝、十分の町を訪れると、線路沿いに天燈(ランタン)が揺れていました。赤、青、黄──色とりどりの願いが風に踊っています。
店主から渡された筆で、花菜は「家族が仲良く過ごせますように」、りゅうは「新しい挑戦がうまくいきますように」と書き込みました。火が灯ると、天燈はゆっくりと空へと舞い上がります。

「昔は山で働く人の無事を祈るためだったの。いまは願いを天に届ける文化になったのね。」
赤い光が青空に溶けていくその瞬間、家族の心も、どこか軽く、あたたかくひとつになったように感じました。
食堂での締めくくり日常に息づく文化
十分の路地裏にある、昔ながらの食堂に入りました。木のテーブル、壁に飾られた家族写真や色あせたポスター、その空気に包まれるだけで、どこか懐かしい気持ちになります。
おばあちゃんが運んでくれた魯肉飯(ルーローファン)からは、ふんわりと八角の香りがします。
花菜はひと口食べて、目を細めました。

「なんか懐かしい味がするね。ほっとする。」

「台北のレストランと全然違う。これが家庭の味なんだね。」
食後、おばあちゃんが「この町も昔は鉱山で賑わっていたのよ」と話してくれました。
皺の刻まれた手の動きに、この町の時間の流れが見えるようでした。
金鉱の町に受け継がれる、人々の暮らし
九份や十分は、かつて金鉱の町として多くの人が夢を追った場所です。時代が変わっても、人々はこの土地で暮らしを紡ぎ、静かにその歴史を受け継いできました。
目の前の一杯の魯肉飯には、そんな日々の積み重ねが込められています。一口ごとに感じるのは、派手さではなく“人の手のぬくもり”です。
食事を通して、私は“この町の時間”を味わっているようでした。
家族で感じた、日常の中の文化

「文化って、こういう何気ない日常の中に息づいてるんだね。」
花菜とりゅうが静かに頷く姿を見て、私は胸が熱くなりました。この旅で、二人が“味の奥にある物語”を感じ取ってくれたことが、何より嬉しかったのです。
香り、記憶、そして人の思い──。それらがゆるやかに混ざり合い、旅の終わりに静かな幸福が訪れました。日常の一杯が、私たち家族にとって“忘れられない文化体験”となった瞬間でした。
旅のメモ──九份・十分をめぐるためのヒント
物語の舞台となった九份と十分は、どちらも台北から日帰りで行ける人気の山間エリアです。
アクセスや滞在のコツを知っておくと、より深く旅を楽しめます。
・台北駅から瑞芳駅までは台湾鉄道で約40分。
・瑞芳駅から九份までは路線バスで約15分。
・九份から十分へは「台湾好行バス」またはチャータータクシーで約30〜40分。
・九份は午後から夜にかけて提灯が灯る時間がいちばん幻想的。
・十分は午前中の方が空気が澄み、天燈(ランタン)の写真がきれいに撮れます。
・石段が多いため、歩きやすい靴で。雨具と折りたたみ傘も忘れずに。
・茶館や屋台は混み合うので、平日や午前中の訪問がおすすめ。
・天燈は1基200〜250元前後。願い事を日本語で書いても喜ばれます。
・九份では茶館で「金萱茶」や「阿里山高山茶」を試してみてください。
・十分では、天燈に願いを書いたあと、線路沿いの食堂で魯肉飯を味わうと、旅の締めくくりにぴったりです。
静けさと熱気、祈りと日常──そのすべてが共存するのが、九份と十分の魅力です。訪れる人それぞれの心に、きっと特別な物語が残るはずです。
まとめ 坂道と光と願いがつむぐ、親子の台湾物語
この旅を通じて、私たち家族はただ観光地を巡るだけでなく、九份や十分の町で暮らす人々の思いに触れ、台湾文化の奥深さを肌で感じることができました。
坂道の先に広がる景色や、天燈に込めた願い、食堂での温かな出会い──どれも私たちだけの大切な思い出です。
「また家族で新しい物語を作りに来たいね」と花菜が言い、りゅうも静かに頷いていました。旅の終わりに、家族の絆がさらに深まったことを実感しています。
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