台北旅行中、友人マリエさんがふとつぶやきました。「起業の記念に、台湾で印鑑を作ってみたいの」
その一言がきっかけで、私たちは台北・中山エリアの静かな路地裏にある《日星鑄字行》という活字鋳造工房を訪ねました。
デジタルが主流の現代にあって、あえて“刻む”というアナログな体験を選んだこの時間は、旅の中でも特に心に残るひとときとなりました。
台湾の印鑑文化とは?日本との違いと背景
台北の街を歩きながら、マリエさんと「台湾の印鑑ってどんなものなんだろう?」と話し合ったのがきっかけで、現地の文化を改めて調べてみました。台湾では、銀行や契約など大切な場面で今も印鑑が欠かせません。驚いたのは、どんな場合もフルネームで作るのが当たり前だということです。
日本でよく見る“名字だけ”の印鑑は、台湾ではほとんど使われていません。さらに、印面のデザインを風水や姓名判断で決める人も多いそうです。印鑑は単なる道具ではなく、「自分の人生を刻むもの」として大事にされていることを、現地の方の話から実感しました。
私が選んだ印鑑工房《日星鑄字行》
中山駅から小さな路地を曲がると、ひっそりと《日星鑄字行》の看板が現れました。扉を開けた瞬間、金属とインクが混じった独特の匂いがふわっと鼻をくすぐります。壁一面にぎっしりと並ぶ活字の山、古びた作業台、静かに流れる時間――まるで時代をさかのぼったような感覚に包まれました。
職人さんが黙々と作業する姿を間近で見て、「ここは観光地というより、まさに“生きている工房”なんだ」と実感しました。観光客向けの華やかさはありませんが、その分、職人の誇りと歴史が空気に溶け込んでいる場所でした。

「うわぁ……時間が巻き戻ったみたい」
マリエさんのつぶやきに、私も思わず頷きました。店内の隅々から感じられる静謐な雰囲気と、活字ひとつひとつに込められた歴史を感じます。すでに、ここでの体験がただの“ものづくり”ではないことに気づかされていました。
どうして“今”、印鑑を作ろうと思ったのか
マリエさんが「起業の記念に印鑑を作りたい」と言った時、私は正直、少し意外でした。デジタル全盛の時代に、なぜわざわざ印鑑を?という疑問もありました。
でも、旅を続けるうちに、彼女のその言葉の背景が少しずつ見えてきたのです。彼女は長年働いた会社を辞め、新たな人生のステージに踏み出そうとしていました。変化の節目に、「自分の名前を刻む」ことが、彼女にとって“覚悟を形にする”行為だったのです。

「新しい名刺を作るより、まずは印鑑がほしいと思ったの。これは誰のものでもない、私のものだから」
その言葉を聞いたとき、私はふと、自分の名前にどれだけの意味を込めてきたかを考えました。印鑑はただのツールではなく、“自分の存在を信じるための道具”になり得るものです。そんな気づきが、この体験をより深いものにしてくれたのです。
印鑑作りの工程とその魅力
店主が「流れはシンプルだからすぐにできる」と笑顔で言ってくれた通り、初めての私たちでも安心してできるよう、工程を一つずつ丁寧に説明してくれました。
工房の奥に案内されると、職人さんがにこやかに「どんな言葉を刻みたいですか?」と声をかけてくれました。私は旅の途中で心に残った「日日是好日」という禅語を選び、マリエさんは自身のフルネームに加えて、馬のイラストを入れることにしました。
活字のサンプルを手に取りながら、書体や配置を一緒に考える時間は、まるで自分の想いを形にする儀式のようです。活字を並べては微調整し、納得いくまで店主と相談することができました。
いよいよ彫刻が始まると、工房に静けさが広がります。金属を削るカリカリという音、集中した職人さんのまなざし――その光景を見ていると、私の中にも自然と背筋が伸びる感覚が生まれました。
完成した印鑑を手にした瞬間、ずっしりとした重みと、細やかな彫りの美しさに思わず息をのみました。初めて朱肉をつけて押したときの「カチッ」という音と、紙に浮かび上がる鮮やかな印影は、今でも鮮明に思い出せます。
その手触りと、初めて朱肉をつけて紙に押したときの「カチッ」という音、そして現れた鮮明な印影ー全てが心に深く刻まれました。

「何だか重みがずっしりくるね、引き締まる思いがする。」
台湾と日本、“印”に込める意味の違い
印鑑作りの途中、店主が「台湾では印鑑は“一生の相棒”ですよ」と教えてくれました。日本では文房具店で気軽に買える印鑑も多いですが、台湾ではフルネームで作り、長く大切に使うのが普通です。新しい印鑑に変えるときも、きちんと手続きが必要だそうです。
「人生の節目ごとに印鑑と向き合うことで、自分自身の歩みを刻むんです」と語る店主の言葉が、心に残りました。私もこの体験を通じて、ただの“道具”ではなく、自分の想いを託す“存在”として印鑑を見つめ直すきっかけになりました。

「電子署名が主流になっても、“押す”という行為が持つ意味は変わりません。だからこそ、訪れてくださる方が後を絶たないんですよ」
指先で済むデジタルなサインと違って、手で朱肉をつけ、印面を紙に押すという行為には、その瞬間に気持ちを宿す余白があるように感じます。
Lulucoとしても、「押す」という行為を通して自分の名前と向き合うことで、自分自身の存在や願いに気づかされたような気がしました。確かに、指先でタップするのとは違い、手で押すという動作には気持ちを込める余地があるように思えます。
実用性と記念性の両立:私たちの“ひと印”が意味するもの
完成した印鑑は、それぞれ専用のケースに入れて受け取りました。朱肉とセットで持ち帰ったその印鑑は、旅の記念であると同時に、日常生活でも使える“実用品”としての価値を持っています。マリエさんが印鑑を手にしてつぶやいた一言が、今でも心に残っています。

「この印鑑、お守りみたい。これからの毎日に、そっと背中を押してくれそう」
自分の名前を刻むという体験は、自分自身と向き合う時間でもありました。台湾で印鑑を作ることは、文化に触れるだけでなく、人生の節目に立ち会う“儀式”のような体験だと感じました。
体験情報まとめ(旅行者向け)
今回訪れた《日星鑄字行》は、台北市大同區の静かな路地裏にある伝統工房。予約なしでも温かく迎えてもらえましたが、混雑を避けるなら事前に時間に余裕を持って行くのがおすすめです。
体験は30分〜1時間ほどで完成。価格は500〜1,000元ほどで、デザインや材質によって異なります。中国語が中心ですが、店主はとても親切で、身振り手振りや簡単な日本語も交えて丁寧に説明してくれました。
完成した印鑑は、現地の銀行や契約にも使える本格仕様です。旅の記念としても、日常の実用品としても大切にできる一品になりました。
台湾で“印”を作ることの本当の意味
手で文字を選び、職人さんと一緒に想いを形にする時間は、観光名所を巡るだけでは味わえない特別な体験でした。完成した印鑑を手にした瞬間、「これからの人生の節目ごとに、この印鑑と向き合っていきたい」と自然に思えました。
台湾で印鑑を作ることは、単なるお土産作りではなく、自分自身の歩みや願いを刻む“儀式”のようなもの。もし台北を訪れるなら、ぜひ自分だけの“ひと印”作りに挑戦してみてください。きっと、旅の思い出以上のものが心に残るはずです。
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